国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」の企画展「表現の不自由展・その後」に関して、慰安婦をモチーフにした少女像や昭和天皇の肖像を燃やして灰にした上で踏みつける映像作品に対して、明戸隆浩・東大特任助教は「ヘイト表現ではない」と語った。
「国や日本人など、大文字の主語で社会があたかも一枚岩であるかのように語られることによって表現の自由が奪われることが、一番怖いことです」…これが彼の理屈だ。
問題の作品を「日本人に対するヘイト」と言うが、日本人だって一括りにはできないではないか、昭和天皇の肖像を燃やして灰にした上で土足で踏みつけることを「よっしゃー!」と思う人もいるんだぜ、その人にとってはこういう作品は「ヘイト」ではないんだよ、だからあたかも日本人全員に対するヘイトだというような言い方はおかしいだろ…ってことのようだ。
では、金正恩の肖像を燃やしたり足で踏みつけるような行為はどうなんだろう。北朝鮮の中には、金王朝に対する憤怒を表に出せないまま暮らしている人たちは数多くいるだろう。理由もよくわからないまま、身内が強制収容所に送られたり、殺されたりしている人は多いのだ。こうした人たちの心の叫びを表現するためと称して、金正恩の肖像を燃やしても、何の問題もないのだろうか。
どんな国民だって一枚岩であるはずがない。様々な思いを持つのは当然だ。それでも国民一般や国全体を代表するものをぞんざいに扱うのは許されないという常識的な判断が、ウィーン条約のような形で国際法でも認められてきた。
この東大の助教は、どうも国際慣習から確立していったこうしたルールが気に入らないらしい。
「少数派にも人権はある!」と言いたいのだろうが、その前提は「多数派には当然人権はある」だ。
「あいちトリエンナーレ」は税金で運営されている。税金を少数派のために使うというのも、認められることは多い。だが、税金を少数派のために使いつつ、多数派の感情をズタズタにすることは絶対に許されない。当たり前だ。
無理やり正当化しようとするのはやめてくれと、改めて言いたい。
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