小島晴則さんは、元日本共産党員で、在日朝鮮人帰国協力会の新潟支部で事務局長を務めていた。
彼は「新潟協力会ニュース」の実質的な編集長として活動した。
月に3回ほど帰還事業関連の新聞を発行し、新潟港から去っていく彼らを写真に撮り、記事を書き、およそ5000部を刷って各界に送ったという。
当時は日本のあらゆる新聞やテレビが、北朝鮮は地上の楽園だと宣伝していたから、北朝鮮の挑発北朝鮮への「帰国」船に乗った瞬間から地獄が始まったことがわからなかった。
小島さんが変わったのは、1960年代に3週間、北朝鮮を訪れた後からだそうだ。
「北朝鮮の体制は、豊かに暮らしているというけれど、そうではなかった。人の顔はうそをつかない。行って、会ってみると、みんな栄養失調の顔をしていた」と、小島さんは話す。
帰国後に帰国協力会の活動をやめ、共産党からも抜けた。
小島さんは、『写真で綴(つづ)る北朝鮮帰国事業の記録 帰国者九万三千余名 最後の別れ』というタイトルの資料集を出版した。
帰還事業では在日朝鮮・韓国人だけでなく、日本人妻や子ども6000人を含む、93000人が日本から渡ったのだ。
だから小島さんは、日本人拉致問題だけを扱うのをおかしいと考え、93000人が日本から渡って地獄のような暮らしを送っていることも問題視している。
ここから、日本政府に対して、こうした人たちのことを知らないふりはできないと問題提起をする。
日本政府が北朝鮮への「帰国」事業を積極的に後押ししたことを、私たちは確かに忘れはならないだろう。
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