ミネソタ州のミネアポリスで、支払いにニセ札を使った疑いを持たれたジョージ・フロイド氏が白人警官によって逮捕され、路上で首の部分を膝で押さえ続けられたことで死に至らされた。
この事件の詳細については、以前にもブログで取り扱ったので、今回はその点については書かないが、この騒動はその後全米に広がり、ミネアポリス以外でも放火や略奪が相次いだ。
ホワイトハウス前でも、「私たちを殺すのをやめろ」などと騒いで敷地内に乱入しようとする抗議者が殺到し、シークレットサービスとの間でもみ合いになった。
この騒ぎをどう見るべきか。
事件に関与した警官が野放しにされているのであれば、騒ぎが起こるのはまだ理解できる。
だが、その場にいた警官が全員懲戒免職になって、「実行犯」の警官は殺人罪の容疑で逮捕されているのだ。
これ以上、州政府や連邦政府に何をしろというのか。
抗議活動に参加している人たちは、今も根強く残るアメリカ社会の黒人差別が今回も現れたのであり、それに対する抗議だというのだろうと思う。
それがそのままそうだとしても、では政府にはこれ以上の一体何ができるというのか。
トランプ大統領の政治が悪いから、ウォルツ州知事の行政が悪いから、この事件が起きたわけではあるまい。
法定手続きを無視して、この白人警官をすぐさま公開処刑にすればいいのだろうか。
そもそも、心の奥底で個々人がどんな感情を持っていても、それは自由ではないのか。
肌の色の違う人に対して警戒心を持つのは、人間の本能に立脚するものであり、どうしようもない。
理性的に差別をしまいと思って行動することも大切だろうが、すべての人が高い理性によってしっかりと自己統御できるなどと考えることは非現実的だろう。
また、会社が社員を雇用するような場合、インスピレーションというのは意外に大切だ。
そしてインスピレーションが本能と切り離すことができない以上、そこに人種が絡むこともやむをえない。
また、採用者が人種差別にならないように採用を心がけていたとしても、黒人の応募者が落とされたら、それを人種差別のせいだと勝手に思い込むということも、十分ありうることだ。
そもそも社会の上層部に白人が多く、その結果として白人が優位になりがちだというのは、アメリカの歴史からしてやむをえないところがある。
現在は過去の延長線上にしかないのであり、その中で地道に改良していくしか道はない。
その改良が全然進んでいないように活動家の人たちは思っているようだが、この100年間で黒人の地位はすさまじく向上した。
多くの白人の支持がなければ、黒人が大統領になることなどありえないだろう。
黒人の人達を含めて、理性的にものごとを見ることのできる人たちは、この騒ぎが白人と黒人の分断を引き起こし、黒人への偏見を却って高めてしまうことを理解しているはずだ。
だからこうした無法な活動に対して「理解」など示してはならない。
放火したり、略奪したり、庁舎に乱入しようとしたりするのは、一切正当化できない。
この事件を受けて、トランプ大統領は、「多くのアメリカ人が恐れと怒りと悲しみでいっぱいになった」とし、今必要なのは「憎しみではなく癒しであり、混乱ではなく正義だ」と述べながら、暴れている人たちを「略奪者と無政府主義者」だと断じて、「暴れる暴徒が支配することは許さない。そうはさせない」と強調した。
この発言は「リベラル」派が非難するような、暴力を美化するようなものではなく、為政者の発言として極めて正当なものだと思う。
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