「スペイン風邪」は、第1次世界大戦の終わりに近づいた1918年から2年後の1920年にかけて、世界的な大流行に発展したインフルエンザだ。
全世界で5000万人が亡くなったとされる。
名前の由来は、流行当初が第一次世界大戦の真っ最中だったことと関わっている。
第1次世界大戦中の報道規制のために、当時中立国であったスペインでの流行ばかりが報道されてしまったのだ。
したがって、スペインが発祥の地というわけではない。
その点では、スペインにはとてもお気の毒だ。
では「スペイン風邪」の起源がどこだったかといえば、実は未だに確定されてはない。
そこで、中国共産党はアメリカ起源説を採用して、アメリカを攻撃する材料として使っている。
だが、実は今有力視されているのは、中国起源説だ。
第一次世界大戦の主戦場に、ドイツの東側(東部戦線)と西側(西部戦線)があった。
西部戦線はドイツとフランスの間に南北に線状に展開されていた。
そして、このフランス側の西部戦線の後方支援として、実は大量の中国人が動員されていたのだ。
その数は合計で96000人にのぼる。
彼らは鉄道を使ってカナダを横断してヨーロッパに送られた。
この中で3000人強の人たちには検疫を受けた医療記録が残っている。
そしてその医療記録から、その中にインフルエンザと思われる症状が多く見られたこともわかっているのだ。
こうした中国人労働者が送り込まれたフランスには、こうした中国人を扱う専門の病院が作られた。
こうした病院の一つで作られた記録が発見され、その病院では呼吸器疾患により数百人の中国人が死亡したことがわかっている。
また、1917年11月に中国北部で流行したインフルエンザが、1918年になってからヨーロッパで広がったスペインかぜと同じものだと確認されたとする、当時の中国政府の保険当局がまとめた文献も発見された。
ヨーロッパ人の間で感染が急激に広がり、パンデミックがピークに達したのは1918年の秋のことだったが、この頃にはヨーロッパに送られた中国人労働者の中では、発症例がなくなっていたこともわかった。
この頃には中国人労働者の間には、とっくに免疫ができていたと考えると、辻褄が合うわけだ。
こうした傍証だけで中国起源で間違いないとすることは、科学的には正しいということにはならないだろうが、一貫した説明がつく非常に有力な説であるということは知っておいていいのではないだろうか。
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