台湾では、1947年に起きた2・28事件から73年が経過した。
2・28事件は、中国大陸から渡ってきた国民党が、台湾の人たち、特に統治能力が高いエリート層を狙って大虐殺を行ったという事件だ。
敗戦によって日本の統治が終わり、代わりに占領軍としてやってきたのが、中国国民党軍だった。
ちょうど、日本本土の占領軍としてアメリカ軍がやってきたのと同じ構図だ。
中国国民党軍は台湾人のものを勝手に強奪したり、台湾人を強姦したり、殺したりということが相次いでいた。
台湾の豊かな物資が接収されて、それが中国本土で高値で販売され、国民党軍が莫大な利益を上げる一方で、台湾人は物資の不足に伴う激しいインフレに苦しめられるということが起こっていた。
そんな中、台北市で起きたちょっとした事件で国民党軍が発砲し、それによって台湾人が亡くなったことから、台湾の人たちは抗議に立ち上がった。
抗議のデモ隊が台北市庁舎に向かったのだ。
これに対して国民党軍は、市庁舎の屋上に機関銃を備えて、デモ隊に機銃掃射を浴びせた。
このことによって、台湾人の国民党軍に対する怒りは一気に広がった。
当時の台湾人は、敵か味方かを区別するのに、日本語や君が代を用いていたことも、日本人としては知っておきたい。
台湾人の本気の抵抗に慌てた国民党軍の側は、台湾人の要望を受け入れる態度を示して、事態の沈静化を図ろうとした。
ただ、その一方で国民党軍は密かに大陸に対して援軍を要請し、こうした援軍の力を借りて台湾人に本格的な武力攻撃を仕掛けてきたのだ。
日本統治時代に高等教育を受けたエリート層を狙い撃ちして、次々と逮捕し、殺害した。
こうしたむごたらしいテロ行為によって、国民党軍は最終的には完全に台湾を鎮圧した。
これが2・28事件のあらましである。
そしてその後38年にわたって国民党軍による戒厳令のもとに台湾は置かれることになったというのも、押さえておきたい。
さて、この2・28事件の記念式典が台湾で行われ、蔡英文総統が挨拶したが、その中で例年にないことが表明された。
2・28事件に関する政府の機密文書を、一部を除いて1ヶ月以内をめどに解禁すると、蔡総統が述べたのだ。
2・28事件の残虐性がこれによってより明確にされていくことになるだろうが、話はそれだけにとどまらない。
これは、戦後の台湾がどのように成立していったのかをあぶり出す上でも重要な役割を果たす。
占領期間が終了したら、アメリカは日本の統治を日本人に任せた。
だが、台湾では占領期にやってきた国民党軍がそのまま支配層として居座った。
こうした認識も台湾の中にはある。
国民党によるなし崩し的に見える支配は合法なのか、違法なのか。
その認識は、台湾は中国の一部なのか、そうではないのかという判断とも関わってくる。
蔡総統の打ち出した2・28事件に関する文書の機密解除は、対中国戦略の意味合いを大きく持つものだということも理解しておきたい。
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